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2024年5月2日

【渋谷おとなり散歩2023開催レポート①】「民生児童委員」の目線から、地域の人や活動を眺めてみよう!

よく晴れた3月の日曜日。今日は初台で黒澤恒太さんとのお散歩の日。

黒澤さんは本町2丁目の出身で、お仕事の傍ら消防団に加わったことがきっかけで初台民生委員に推薦されてから民生児童委員として10年。現在は渋谷地区会長、渋谷区民生児童委員協議会代表も務めていらっしゃいます。

「民生委員というのは、民生委員法に基づいて、厚生労働省から委嘱された地方公務員なんです」と黒澤さん。黒澤さん曰く、民生委員は「妊婦さんからご臨終直前まで」、地域の人たちが生活する上での困りごと––––例えば、介護や生活保護、子育ての悩みや虐待などといったことまで相談にのってくれる地域の見守り人です。そして相談の内容に応じて社会福祉協議会や地域包括支援センター、区役所、児童相談所などに繋いでくれるのです。

散らかった机の上に座っている男性

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現在、初台地区の民生委員は23人。民生委員はみな児童福祉法に基づく児童委員も兼ねているそうです。実は民生委員になるには、民生委員からの推薦を受け、推薦委員会を経て厚生労働省から委嘱を受ける、という手順を踏むのだそうですが、個々の家庭の事情に深く関わらざるを得ない役目ですから、守秘義務を守れる人かどうかをきっちりチェックされるのでしょうね。だからこそ、相談する側は安心です。驚いたのは、民生委員さんには報酬はないのだということ。つまり、ボランティアで地域の見守り役になってくださっているわけで、本当にありがたく思います。

お話がひと段落した時にはもうお昼。「じゃあ、お昼を食べに行きましょう!」と初台の商店街に向かいました。すると、黒澤さん、何だか細い路地に入って行きました。えっ、どこに入っていくんですか?

するとそこは、小さなご飯屋さん「トモキッチン」でした。カレーをながらお話をうかがいます。

もともとお祖父さんの代から表具屋さんを営んでいたそうですが、2015年に三姉妹の次女で調理師として働いていたトモさん(実は、三姉妹みんな“トモ”がつくそう)を中心に3人で家庭的な料理を提供する定食屋さんを始めたそうです。「最初は“大丈夫か?“って黒澤さんにも心配されましたよね」とトモさん。現在は月1回、こどもテーブルもやっています。お家のような雰囲気のお店なので、こどもたちもおかあさんたちもリラックスしてくれるとか。「がんばっているよね」と笑顔の黒澤さん。トモさんは、もっとこの商店街にいっぱいお店ができて欲しいと言います。「私が子どもの頃は、この通りのおじさんおばさんたちの目があったから、『あそこのお父さん、あそこのおじちゃん』って感じでまちが楽しかった。けど、いま挨拶さえもしなくなっている様子があるので、寂しくなったなと思います。だから、子どもたちと交流するようになってから、外で会ったら遠くても声をかけたりします。本当に個人商店がもっと増えるといいなあ」。

そんなこんなをお話しているうちに、気がつけば、全員がカレーをおかわりしていたのでした。

みんな満腹になって、いい気分でお散歩再開。トモさんも加わって代々木八幡宮に向かいます。

代々木八幡宮は、都会の中にあることを忘れてしまうほど深い緑に囲まれた静かな神社です。本殿にお参りし、案内役の黒澤さんに宮司の平岩小枝(こずえ)さんをご紹介いただいて、お話をうかがいました。平岩さんのお母様は作家の平岩弓枝さん。平岩さんは小さな頃から、神社を守るお祖父さんのもとで育ち、普通に就職していたそうですが、お祖父さんが倒れた時に自分が宮司になろうと思ったのだそうです。それは、お祖父さんが抱いていた地域に根付く、神社という存在への思いを継いでいきたいという思いだったようです。

日本には、「氏神、氏子」という言葉がありますが、「神社が親で、地域に住む人が子。そこに住む人はそこの神様に守られている。そして、年に一度のお祭りでお神輿や御神楽をやって楽しむ、というのが古代から続く日本人と神社のつながり方だったんですね。それが大きく変わったのが戦後だと思います」。

平岩さんの語り口は優しく面白く、みんなお話にどんどん引き込まれていきました。

「戦争でいろいろな価値観が崩れてもやもやしていた頃、初台の商店の方たちによる“甚六会”というのがあったと聞いています。そのまとめ役の人と私の祖父が仲良しで、そうしたふわふわした時の心の拠り所として、地域の神社でなにか一緒にやれないか、と相談されて、お囃子とお餅つきを復活させたんです。お餅つきは、節分の二日前について、節分の行事でまくことにしたんですね。復活させるためにはモチベーションが必要だ、と。目的があればみんなのやりがいになる。そうすれば持続可能になる、と。実際、いまでも続いています」。

平岩さんが宮司になったのは、ちょうどリーマンショックの直前。商店街も社会も元気がなくなっていた頃で、平岩さんも手探りで始めたのだそうです。もっと地域とつながれないかと思っていた平岩さんは、新しいお祭りを始めることを思いつきます。

「9月のお祭りは露店が200も出るほど大きいんですけど、神社がもっといろんな人たちとなんとか結びつけないかと思っていて、たまたまお祖父ちゃんの書いたものを見直していたんですね。そうしたら、昔、うちには春に『金魚まつり』というお祭りがあったと書いてあったんです。明治から大正、戦前の昭和くらいまでですが、金魚がすごく流行っていたんですね。このあたりは関東大震災で下町を焼け出された人たちが移り住んできた地域で、下町情緒を感じるところもあると思うんですけれど、そうすると金魚を飼うのが流行ったんですって。それで金魚売りがよく来たらしいんです。それをみなが楽しみにしていて、金魚まつりって呼んだ。おもしろいなと思って」

それを若い人に喋ったら、「いいじゃん、やろうよ」となった。秋にはもう大きなまつりがあって手伝う人の役割も決まっているから、春にやろう、お店を閉めてしまった魚屋さんとかもこの時はお魚を売ったりできるようにしよう、シンボルとして金魚のお守りもつくろう、お神輿も……と地域の人、若い人たちとみんなで考えながら始めたたら、来訪する人も多く、新しいつながりができて手応えを感じたと言います。「“おまつり”をしているので、持続可能になるんですね。誰がいなくなってもまた誰かが代わりに出てくれるとか、そういうことをこの金魚まつりですごく実感したんです」。机の上に座っている人たち

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テレビで紹介されて急にくる人たちが増えてしまった時もフォローしてくれたのは地域の人。お守りが足りなくなっても「しょうがないね」と受け入れてくれたのも地域の人。「氏神さまって、やっぱり地域の人なんだ、って。うちの神社は絶対に地域と一緒にいたい。地域を守りたい。その軸足は絶対に変えたくないと思っています。神社とお祭りというキーワードで、世代を超えて一緒に話ができる。それはこの神社の素晴らしさだし、ここに縄文時代から人々が生を育んで幸せを祈ってきた、そういう祈りが重ねられている。そう思うと素晴らしいと思っています」。

平岩さんのお話を聞いて、「コロナ明けの今年の金魚まつりはすごい人でしたよね」「金魚まつりってそういうところから始まっていたんですねえ」「お話をうかがって本当によかったあ!」と参加者も大盛り上がり。

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そして、神社を再び黒澤さんに案内いただきながら散策し、最後に「金魚まつり」の金魚神輿を拝見して解散しました。心地よい一日をたっぷり堪能しました。黒澤さん、ありがとうございました。

道路の脇に立つ人々

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